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2009年05月の日記

祝、ホール・イン・ワン!!

5月26日(月)

天気:快晴

場所:都ゴルフ倶楽部
   18番ホール104ヤード

で、弊社相談役 牧野光子がホール・イン・ワンを達成いたしました。

まずは、報告まで・・・
生涯で3回目のホール・イン・ワンですが、私(社長)は初めて目の前で入る瞬間を見てしまいました。
今も興奮しています!!
(2009.5.27[Wed])

ハチミツについて、

 先日、ハチミツが採れました!!
って掲示しましたけど、花の種類によって色、香りや味が異なります。
 この写真を見てください。
 桜のハチミツとアカシアのハチミツです。
 みなさんは、どちらがどっちだか分かりますか?
 
(2009.5.13[Wed])

雨が上がり虹が・・・

 雨上がりに虹が奇麗に見えました!!
ちょっと分かりにくいですけど、あなたには見えますか?

 明日以降なんか好いことありそうですね。
(2009.5.8[Fri])

今日は暗闇祭りです。

 毎年、5月の連休は暗闇祭りです。
八基の神輿が5月5日に渡御!!
いよいよ本番です。

ちょっと詳しく知りたい人は、下の説明文をお読みください。

祭神:大國魂大神
由緒:
大国魂神社の起源は、人皇第十二代景行天皇四十一(西暦111年)年五月五日大神の託宣に依って 創立されたものである。
出雲臣天穂日命(のおみあめのほひのみこと)の後裔が初めて 武蔵国造(くにのみやつこ)に任ぜられ当社に奉仕してから、代々の国造が奉仕して その祭務を掌られたといわれ、その後、孝徳天皇の御代に至り、 大化の改新のとき、武蔵の国府をこの処に置くようになり、 当社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して、国内の祭務を総轄する所にあてられた。
又、国司が国内社の奉幣巡拝、又は神事執行等の便により国内諸神を配祀した、 これが即ち武蔵総社の起源である。
後に本殿の両側に国内著名の神、六所[ろくしょ](小野大神・小河大神・氷川大神・ 秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を奉祀して、六所宮とも称せられるようになった。
 
寿永元年(1182)に至り、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、 その室、政子の安産の祈願が行われた。
文治二年(1186)頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営し、また貞永元年 (1232)二月、将軍頼経の代にも武蔵守資頼を奉行として社殿が修造せられた。
又、天正十八年(1590)八月、徳川家康が江戸へ入城してからは、 武蔵国の総社であるために殊に崇敬の誠をつくし、社領五百石を寄進され、 社殿及びその他の造営に心力をつくされた。
正保三年(1646)十月、類焼により社殿は焼失したが、寛文七年(1667) 将軍家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。 形式は三殿を横につらねた朱塗りの相殿造りで、屋根は流造りであるが、 慶応年間に檜皮葺[ひわだぶき]が銅葺に改められた。 又、本殿は都文化財に指定されている。
明治元年(1868)勅祭社に準ぜられ、同七年(1874)県社に列し、 同十八年官幣小社に列せられた。
 
本社はもともと大國魂神社と称したが、中古以降、武蔵の総社となり、 又国内著名の神六所を配祀したので、「武蔵総社六所宮」の社号を用いた。ところが 明治四年(1871)に、もとの社号に復し「大國魂神社」と称するようになった。
大国魂神社は神威殊に顕著であるので、古来より崇敬者は、武蔵はもちろん、 関東一円に亘っている。
(2009.5.5[Tue])

ゴールデンウィークは近場で・・・

ミシュランでもお馴染みの高尾山に行ってきました!!
きれいな花が登山道沿いに咲いていました。
とても多くの人が列をなして登山をしていました。まるで、銀座にでもいるような錯覚をしてしまいました。
(2009.5.4[Mon])

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